平昌パラリンピックの男子スノーボード日本代表の成田緑夢さん(24歳)。

2006年のトリノオリンピックの男子スノーボード日本代表だった成田童夢さん(32歳)。

同じくトリノオリンピックの女子スノーボード日本代表だった今井メロさん(30歳)。

 

皆さん輝かしい実績を残し今もそれぞれの分野で活躍されています。

ですがこの3人に共通するのは波乱の人生と思うものばかりでした。

元々、幼い頃からきょうだいを指導、教育してきたのは父親である成田隆史さんです。

父親の教育方針は独特らしくかなりのスパルタだったようで、この3人のきょうだいが波乱万丈なのは父親の教育の仕方に問題があったのでしょうか。

成田緑夢さん、童夢さん、今井メロさん3人の人生から父親の成田隆史さんの教育は押し付けだったのか、間違った教育だったのかを考えてみました。

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成田緑夢さん、童夢さん、 今井メロさんの家族構成

成田きょうだいが一般に知られているのはこの3人ですが、家族構成はどのようになっているのでしょうか。

成田家の家族構成

父親:成田隆史さん

実母:今井多美江さん(離婚)

継母:元モデル(再婚相手)

長男:成田童夢(どうむ)さん

長女:今井メロさん(本名:今井夢露(めろ))(旧姓:成田夢露)

次男:今井流星さん(旧姓、成田流星)

三男:成田緑夢(ぐりむ)さん

 

きょうだいは全部で4人ですね。

母親は子供達が幼いころに離婚していて、そのときに次男の流星さんとともに家を出ているので母方の姓で今井流星となっています。

今井メロさんも後に家を出ていて母方の姓を名乗っています。

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成田緑夢さん、童夢さん、 今井メロさんの現在までの波乱の人生

きょうだい3人のそれぞれの波乱の人生のから現在までを見てみます。

成田緑夢さんの波乱から現在

1才からスノーボードを始め、1998年の長野オリンピックでは、4才でスノーボードのデモンストレーションを担当するほどの才能を発揮していました。

それから様々な大会で活躍し、才能を発揮してきましたが、19歳のときに挫折がやってきます。

19歳のときに、自宅のトランポリンの練習中の事故により左足の腓骨神経麻痺障害等級6を受けるほどの重傷を負ってしまいます。

その練習内容は、

両足首にスキーの板の重さを想定した2.5キロずつの重りを付け、2回転宙返りで5メートルを飛ぶジャンプを1日に300回繰り返していたそうです。

即病院で手術を受け切断は免れましたが、傷害が残り失意のどん底にいたと思います。

しかし、退院してから半年もたたない、痛みも引かない状態で父親に連れられスポーツを再開したそうです。

それからスノーボードを再開しウェイクボードも始め、一般の大会の全日本選手権で優勝するまでになりました。

そして現在、

2018年3月9日(金)から開催される平昌パラリンピックの男子スノーボード日本代表に選出されました。

成田童夢さんの波乱から現在

童夢さんは父親の指導のもと、5歳からトレーニングを行い19歳までほぼ毎日朝5時から23時まで練習を行っていたそうで、

スノーボードの練習に専念するため高校にも進学していません。

本当は、元々アニメの声優になりたかったそうですが、父親にそのことを話すとまずオリンピックに出てから好きなようにしていいと言われ、

仕方なくスノーボードを続けていたそうです。

ですが2005年には父親と衝突し、家を出てしまいます

それでもワールドカップでは好成績を上げてました。

そして挫折がやってきます。

2006年にトリノオリンピック男子スノーボード日本代表として出場したが予選敗退。

2007年には怪我をし、スノーボード界から現役を引退しました。

やがてスノーボードを触れるのも見るのも嫌いになり、極度の人間不信となり、引きこもり生活になっていったそうです。

それから時が経ち、タレント活動を行うようになりました。

そして父親の元へ戻り、父親かスポーツ選手を育成するために運営している「夢くらぶ」で後進の指導も行うようになりました。

2015には結婚し、現在はタレント活動をしながら、アニメ、ゲーム、アイドルなどの情報発信もしているようです。

今井メロさんの挫折から現在

兄の童夢さんと同様に幼い頃から父親に指導を受け、5歳まではモーグル選手として全日本大会に出場。

6歳の頃にスノーボードに転向し、毎日数時間に及ぶ厳しい練習を行い、

やはり兄と同様スノーボードの練習に専念するため高校にも進学していません。

12歳で史上最年少でプロのスノーボーダー選手に認定されました。

そして、父親あまりに過酷な指導方法に耐えかねて、17歳の頃に家を出て実の母親の元で暮らします。

そして挫折がやってきます。

2006年にトリノオリンピック日本代表で出場するも予選落ち

トリノから帰国した今井メロさんは失意のどん底になり、兄と同様に1年ほど引きこもり生活を送ります。

そして、2007年頃にデリヘルに勤務

2009年頃、一般男性と結婚(1歳下)、長男の瑠偉(るい)くんを出産

2010年、離婚

2011年、再婚(藤井裕一氏)

2011年、長女の真里愛(まりあ)ちゃんを帝王切開で出産

2012年、離婚

2012年頃、ヌード写真集出版

2017年、また競技に復帰し、国内最大級のハーフパイプを誇る、岐阜県の高鷲スノーパークにて第35回JSBA全日本スノーボード選手権大会で優勝しました。

2017年にAVデビュー

現在は、スノーボード指導員免許取得を目指しているそうです。

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父親、成田隆史さんとは

父親の成田隆史さんの本業はファッションカメラマンです。

元々アスリート出身というわけではありませんが、自宅で「夢くらぶ」というスポーツ選手を育成するためのスポーツクラブを運営していました。

そこで隆史さん自身が考案したトランポリンを使った練習や、スキー場でスノーボードのコーチをし、子供たちに自分のことを先生と呼ばせてスポーツの英才教育を行なっていました。

父、成田隆史さんのトレーニング方法と考え方

隆史さんには、世の中の常識的な考え方がなく、まず基本の練習から始めるのではなく、いきなり上級者コースから滑らせるようなやり方だそうです。

そして、

「とりあえず練習の数をやれ。数をやったら君たちは何かを得るんだ、というのが父のやり方だった」

と後に緑夢さんは語っています。

父、成田隆史さんの性格

スノーボードの練習のためには子供を学校にも通わせない、行くときはテストの時だけというオリンピックに出場するためには徹底したアスリート育成教育をしていたようです。

当然友達と遊ぶこともできず、

その性格はまさに「巨人の星」の星一徹のように頑固で鬼のような父。

練習が隆史さんの言うとおりにできないと、平手打ちをされたり、拳も飛んだそうです。

「今なら虐待と言われるかも。やるからにはとことんやるという父の性格ですね」

と後に童夢さんは語っています。

そしてとうとう、父、隆史さんと練習方法を巡って対立をし、長男の童夢さんと長女のメロさんは家を出ていき父親の元を離れていきました。

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父、成田隆史さんの教育は押し付けだったのか?間違いだったのか?

成田緑夢さん、童夢さん、今井メロさんに対する、父、成田隆史さんの当時の教育は、自分の心にある叶えたかった夢を、子供が代理人となって叶える役割を持っていると考えているように見受けられます。

それは名前を見ても分かるように、

長男・童、長女・露、三男・緑

次男の流星意外、全ての名前にという字が使われていることからも父の隆史さん自身がオリンピックの舞台に立ちたかったのではということが伺えます。

押し付け教育とは?

自分の叶えられなかった夢を子供に託す、または自分ができたのだから子供も当然できるだろうなど、

自身の価値観を中心に考え自分が考えることは他人も考えることと、決め付けてしまうことではないでしょうか。

その結果、自分はこう考える、こう行動をする、だから我が子も同じことをするだろうと決め付けた考え方で子育てをしてしまい、

その自身の基準から外れた行動をする子供を叱るというより怒るという行動になり、

それが、しつけではなく押し付けになってしまうのではと思います。

教育方針は間違いだったのか?

教育が押しつけになると必ず子供の反発がやってきます。

父、隆史さんの指導の元、学校にも通わせてもらえないほどの1日何時間にも及ぶ過酷なトレーニング、言うとおりに出来ない時の鉄拳制裁などの結果、

童夢さんとメロさんはトリノオリンピックに出場する一年前に家を出ています。

緑夢さんは過酷なトレーニングの結果、大きな怪我を負ってしまいます。

家出や怪我など押し付け教育でなくともどこの家庭でも起きることだと言われてしまえばそれまでですが。

現在、きょうだい3人はそれぞれ活躍されています。

それは様々な経験、紆余曲折があったからこそ今があるのかもしれませんが、

もしこれが幼少時から子供達それぞれの意思を尊重し生きたい人生を歩んでいたら、今の状態にもっと早くたどり着いていたかもしれませんし、

スノーボードのトレーニングをするにしても、今の時代に合った科学的根拠を取り入れた上での根性論で指導していたら違う結果になっていたかもしれません。

全て結果論ではありますが…

まとめ

成田緑夢さん、童夢さん、今井メロさんの現在までの人生について。

父、成田隆史さんの押し付け教育についてとその結果について考えてみました。

現在、成田緑夢さんと童夢さんが当時を振り返ってコメントをしています。

【成田緑夢さんのコメント】

「父親の超スパルタの行動がなかったら競技を再開(怪我をしてから)していたかどうか分からない、今は感謝している。

少し前の成田家は、結果が全てでした。

でも、僕がけがをして、昔はどんなにいい成績をとっても褒めてくれなかった父が、今は『頑張ってるな』と言ってくれるようになったんです。

それがうれしいんです。

スポーツをする意味を僕なりに考えるようになって、かつての父の行きすぎたところも理解できるようになった。

今はお互いに良き理解者で、やっと普通の親子関係になってきたと思います。」

【成田童夢さんのコメント】

「自分自身が甘える場所を欲していたんだと思う。

過酷な練習に耐えられなかっただけ。

(当時の自分に)あと1年頑張っていたらトリノ五輪でもメダルを取れたと言い聞かせたい。

家族には今になって感謝している」

2人ともこのように語っているように、現在は当時の父親のことを理解し、良い関係を築いているようで良かったと思いますが、

これには本人も言っているように、緑夢さんの怪我が父親に大きなショックと影響を与え、隆史さん自身の教育、指導、考え方をもう一度考えるキッカケになったのかもしれません。

誰もが完璧ではないので、自分主体で考えてしまいがちですが、やはり行き過ぎた教育や価値観の押し付けは、重荷になり、子供と自身の人生に大きな影響を与えてしまうと感じます。

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