ロシアワールドカップまで約4ヶ月ですが、現在清水エスパレスでキャプテンを務める元ワールドカップ北朝鮮代表であった鄭 大世(チョン テセ)選手が二度とワールドカップに出場出来ることはありません。

ですが、2017年J2降格の危機にあった清水エスパレスをギリギリのところで救ったのもキャプテンであるチョンテセ選手の実力があったからこそだと思います。

そんなチョンテセ選手の怪我を負った時の心情やと奥さんの結婚の馴れ初めやこれまでの経歴、名前などについて調べてみました。

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チョンテセ選手の怪我の心情は?

元ワールドカップ北朝鮮代表やドイツ、韓国Kリーグ、Jリーガーなど様々な経歴の持ち主で波瀾万丈な人生を送るチョンテセ選手は現在静岡市の高層マンションで家族4人で暮らしています。

そして現在、清水エスパレスのキャプテンを務めていますが、2017年10月、J2降格の危機に直面したその時に右膝を痛めてしまいました。

キャプテンという立場で、チームが危ないという時に思う通りにいかない歯がゆさその時の心情はどう言ったものだったのでしょう。

在日コリアンのJリーガーは日本でもマイノリティ(社会的少数者)

チョンテセ選手は在日コリアンとしての過去の辛かった人生を妻のミョン ソヒョンさんにも語らないと言います。

それは何故でしょうか?

妻のミョン ソヒョンが思うには、

「思い出したくないのもあるし自分のその弱い姿を見せたくないのかもしれない、自分はいつも常に強い旦那でありたいのかもしれない。」

そして、チョンテセ選手が2017年10月に膝の怪我をまたした時に、初めて妻の前で声を出して泣いたそうです。

「ミョンソヒョンさんは、初めて旦那の弱い姿を見て家内として複雑だった。」

「やっぱり今まで強がっていたんだなって絶対私に弱い姿を見せてなくて、父親であって夫であってキャプテンであってそれが当たり前のように今まで生活してきた。」

「けど、こうやって怪我をすることによってまたキャプテンの役割、父親、夫が弱くなったって言うのをもうちょっと気づいてやれあげればよかった。」

「当たり前のようなことが当たり前じゃなかった。」

「それに気づいてすごい申し訳ない気持ちもあった。」

「自分ひとりで強がらずにもうちょっと頼ってほしい何もしてあげられないけど、話し合うだけでも気持ちがちょっと楽になったりするから。」

ミョンソヒョンさんは夫のチョンテセ選手のことを、

「完璧な旦那さんこんな人見たことない」

と言っていました。

ミョンソヒョンさんチョンテセ選手に対して完璧な旦那さんに寂しさを感じているのかもしれません。

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チョンテセ選手の子供と嫁の可愛い画像や名前や住所は?

チョンテセ選手の母親と父親も含めた家族のプロフィールを調べてみました。

プロフィール

【鄭 大世】(チョン テセ)정대세

生年月日:1984年3月2日(33歳)

出身地:愛知県名古屋市、在日コリアン3世(次男として生まれた)

兄弟:兄、姉

国:韓国籍

幼稚園:日本の幼稚園

小学:愛知朝鮮第二初級学校

中学:東春朝鮮初中級学校

高校:愛知朝鮮中高級学校

大学:朝鮮大学校

住まい:静岡市内の高層マンション

チーム:清水エスパレスのキャプテン

ポジション:フォワード

鄭 大世(チョンテセ)選手の憧れのサッカー選手は、元オランダ代表の「パトリック クライファート」

【明 瑞賢】(ミョン ソヒョン)妻

年齢:29歳

身長:173cm

国:韓国籍

中学高校を日本の山形県で過ごす。

【鄭 泰走】(チョン テジュ)長男

年齢:3歳

幼稚園:静岡市

【鄭 瑞雅】(チョン ソア)長女

年齢:1歳

 

【李 貞琴】(リ ジョングム)チョンテセ選手の母

国:朝鮮籍

【鄭 吉夫】(チョン ギルブ)チョンテセ選手の父

国:韓国籍

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チョンテセ選手と妻のミョン ソヒョンさんの結婚の馴れ初め

2人が出会った時、妻のソヒョンさんは航空会社の客室乗務員のエリート社員で忙しく世界を飛び回っていました。

2人は、月2回会えるか会えないか位で、それだったら付き合ってる気がしないのでお互いもうこれ以上会えないことに我慢できないからと1回別れたそうです

チョンテセ選手は、その時に、それじゃちょっと納得いかないから、お互い嫌いになって別れるんだったら、

喧嘩別れをするんだったらいいけどお互い逢いたくても会えなくて別れるのって、そんな辛いことないから土下座しながら、

「お願いします結婚してください」

と言って別れ話をしたときに結婚を申し込んだそうです

鄭 大世(チョンテセ)選手の経歴

2007年:在日韓国人でありながら、北朝鮮のパスポートを取得し北朝鮮代表になる。

2009年6月17日:北朝鮮のワールドカップ出場決定。

2010年:南アフリカワールドカップ出場。

2010年7月:ドイツ2部のボーフムに移籍。

2012年1月:ドイツ1部のケルンに移籍。

チームの方針とプレースタイルが合わず出場機会が急激に減った。

2013年1月:ワールドカップに二度と出れないことを承知で、Kリーグのオファーを受けるため(韓国1部水原三星でプレーするため)、北朝鮮のパスポートを捨て、韓国のパスポートを取得する。

※ワールドカップに二度と出れないとは?

国際サッカー連盟の規約で、代表戦の出場経験がある選手は他の代表チームでプレーできない。

チョンテセ選手が北朝鮮代表から韓国Kリーグに移籍した経歴を振り返ってみた気持ち

チョンテセ選手は元ワールドカップ北朝鮮代表でしたが、2013年に韓国のKリーグに移籍をしたことを振り返って考えを語っています。

「北朝鮮ワールドカップ代表になるために力を尽くしてくれた人もいる。」

「それを望んでいた高校の監督だったり大学の監督だったり人たちがいる。」

「在日本朝鮮人蹴球協会の人たちもだいぶ連絡取り合ったりしてたみたいなので、そういうことに対してすごい申し訳ない。」

「結局僕はその人たちからしてみたら完全に僕は裏切り者。」

北朝鮮代表でプレイしたのに、しかも現役のうちに代表でもプレイできる状況であるにもかかわらず。」

「今はそれでも堂々と生きてるし、やっぱりそれでメリットももちろんあるし楽しくやっている。」

今まで関わってくれた人たちに対する懺悔の気持ちはある。」

「申し訳ないなっていう。」

「僕は薄情だし、不義理だし、自分にしか興味ないし、幼い頃からそういう自分と向き合ってこなかったと思う。」

「義理堅い男ってかっこいい友達想いとか仲間意識が強いってすごいかっこいい。」

「僕がそうであると思い続けていた。」

「自分はそういう人間だと思っていた。」

「でも、ふとした時に少し歳を重ねるごとに自分のことをわかってくる。」

「自分の性格を考えたときに俺って人として終わってるなと。」

「だから引退した後、正直苦労する。」

「僕の場合は義理を通してないから、僕についてくる人はいないと思うし、僕を助けてくれる人もいないと思う。」

「今はちょっと生活として落ち着いているし、でもまた荒波が来ると思うし、だからちょうどこの環境でふと出た荒波って言う言葉がちょうどいいかもしれない。」

チョンテセ選手の引退後の考え

チョンテセ選手はまだ先の話ですが、引退後はコーチ、最終的には監督を目指しているそうです。

ですが、なるべく長く現役をしていたい現役にこだわっているそうで、

「サッカーでゴールを決めた瞬間のあの興奮と言うのは引退したら絶対に味わえないと思うので、いくらビジネスで成功してほしいものを買ったとしてもその興奮に勝るものは絶対にない。」

チョンテセ選手は現役を清水エスパレスで終われるのが一番ベストと思っているそうで、現役最年長になるまで活躍して欲しいです。

まとめ

チョンテセ選手が父親から言われた言葉に、

「お前は人の2倍以上努力しなきゃ勝てるわけない」

これはどういう意味か、

国内選手と外国人選手枠が決まっているので、外国人選手が国内選手と同じレベルだったら当然国内選手を使ようになる。

だから、自国以外でプレーする場合は例えどこであっても、その国の選手の2倍努力が必要とのこと。

チョンテセ選手はプライベートもサッカー選手としてもその人生が波瀾に満ちていてもその凄まじい努力で今の地位を獲得したのだと思います。

サッカーは世界で最も広く使われている共通言語と言われているように、国籍関係なく活躍を期待しています。

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